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岩川真澄

いわかわ・ますみ / ​画家

 

広島県出身。自然や野生動物とふれあう幼少を過ごす。

16歳でサックスを始め音大に進学するも中退。清水末寿の下でジャズを学び音楽活動をするのと並行して独学で絵を描きはじめる。

2013年、単身アメリカ・ニューヨークに渡る。

かつてアンディ・ウォーホルが所有し、ジャン=ミシェル・バスキアが住んでいた部屋を借り、そこをアトリエとして創作活動を開始。

マンハッタン・NOHOで初個展【"BIG BANG"IN THE EAR】を開催。

2017年、ドイツベルリンへ拠点を移す。同年 個展【Sonnensamen】を開催。

2019年日本に帰国。夫でケーナ奏者である岩川光とのライブセッションも行うなど精力的に活動をしている。

Solo exhibition

2013  "BIG BANG"IN THE EAR / New york

2014  CASE OF HUMAN INFECTION / Tokyo

2015  KISS / Hiroshima

2016  kasten / Hiroshima

2017  Sonnensamen / Berlin

2019  Unconscious urge / Hiroshima

2022  signifié / Hiroshima

2024  BLOW / Tokyo

ARTIST INTERVIEW

サックス奏者の顔ももつ画家・岩川真澄の独占インタビュー。
魂を揺さぶる即興演奏のような個展「BLOW」

サックス奏者でもある画家・岩川真澄。絵に魅せられ、美術で勝負したいと2013年に単身渡米。以来、アメリカ・ニューヨーク、

ドイツ・ベルリンを拠点にし、現在は茨城県を拠点に創作活動を続けています。

近年、取り組むようになったのが人間の感情のひだを描き出しているかのような抽象表現。その創作の源とは?

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ーー ニューヨークでは、ウォーホルやバスキアに縁のある部屋をアトリエにしていたそうですね。

広島で以前から知り合いだった方がニューヨークのノーホーでレストランを経営されていて、そのビルは(アンディ・)ウォーホルが所有していたものでバスキアは2階に住んでいたそうです。1階がレストランで、事務所として使っていた2階部分をシェアオフィスにするということで、レストランで働かせてもらいながら一年間限定で貸して頂きました。

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ニューヨーク・ノーホーの岩川のアトリエがあったビル

バスキアのお墓にも行って、キスマークだらけの墓石の脇にアトリエ、同じ住所が記されている私の名刺と花をたむけてきました。アトリエに入る時はいつも「バスキア、こんにちはー」と心の中で挨拶したり、当時から変わっていないという古い煉瓦の壁を触って匂いをかいだりしてこっそり感動していました。シェアオフィスだったので日中は他の人もいますが、夜中ひとりで創作してる時にはバスキアのおばけが帰ってきてる、なんて想像して嬉しくなってました。

ーー ニューヨークでの生活、創作はどのようなものでしたか?

いろいろな国からいろいろな民族の人が集まってきて、いろいろな言葉が聞こえてくる。すごい賑やかだしスペシャルな街なのだけど孤独を感じることは多く、そういった気持ちの表れなのか当時はカラフルな色遣いの画面にぽつんと黒の模様を描いたり、コントラストが強い作品を描いていましたね。色を重ねるというより塗り替えていくような描き方をしていたのは、今思えば自分次第でいつでもミラクルを起こせる、と信じていたのかなって思います。

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ニューヨークでのセッションの様子(左から4番目が岩川)

ーー その後、ドイツのベルリンへ拠点を移します。

憧れていたニューヨークではすべてが刺激的だったし、周りの人の力を沢山借りて沢山のチャレンジが出来た。貴重な体験をさせてもらい、ニューヨークで画家としてスタートをきれたことは大きな節目となりました。

いっぽうで画家として走り始めたばかりの私にとって、ニューヨークで新しく生まれるものは既に完成されたもののように感じ、生身の人間の葛藤、物を作ることに飢えた生々しさのようなものを求めるようにもなりました。

もともとポーランドの映画ポスターやヤン・シュヴァンクマイエルの映像作品が好きで、ヨーロッパの数ヵ所を旅してベルリンには同じ雰囲気を感じたんです。そこに身を置いて呼吸をするように作品を生み出してみたい、と思い決めました。

ーー ニューヨークからベルリンへ。どんな変化がありましたか。

ベルリンには音楽でも絵でもアーティストが本当に沢山居て、多くの出会いがありました。ひとりでサックスを持ってセッションに参加したり、バンドを組んでライブやレコーディングと音楽活動が増えました。もちろん絵も展示ができそうなアートスペースに積極的に出向いたり、アートマーケットは毎週末開催されているのでどんどん参加しました。

2017年にベルリンで開催した個展「sonnensamen」の様子

 

 

 

ーー 絵と音楽。昨今言われる二刀流です。

日本にいると「絵と音楽、どっちでやっていくの?」って、よく言われるのですが、ベルリンで出会った表現を志す人は、写真も撮ればアニメーションを作ったり歌を歌ったり、みんな本当に自由。誰もが自分を表現することに自由で方法も自由。誰かと比べたり、経歴で評価することなく目の前にある作品とそれを生み出す人を受け止める感覚に触れて、表現することは楽しいのだと実感しました。音楽と絵をやることは自分にとって自然なことだというのはベルリンでの生活で気づくことができたし、以後の私の作品作りにも影響しています。

ベルリンでのバンドメンバー(左から2番目が岩川)

ーー 作品への影響とはどのようなものでしょうか?

ニューヨークもそうですが、世界中の国からあらゆる民族、さまざまな人間が集まる社会。正直に生きようとするがゆえに疎外される現実も目の当たりにし、人物を描くようになりました。人物画は感情が読み取りにくい表情が多く、ベルリンの気候も関係したように思いますが、それまでの作品より深い色遣いになっていきました。ドイツには辛く悲しい暴力の歴史があり、その上に今の生活があることを東西に分かれていた時代を生きてきた人たちから直接お話を聞かせて貰うこともあり、広島出身の私にとって感じる事が多くありました。

幼少期に読んだ絵本がずっと私の心に残っていて、とても美しい絵なのにどこか悲しい物語。美しさと醜さが共存するところに人間的な魅力があるのだと、子どもながらに感じていたことがドイツでつながったように思います。

ーー 絵を描くことと音を奏でることの違いは?

音楽も絵も自分自身との対話でありますし孤独な作業。私がやっている管楽器は単音しか出ないので、他の楽器と一緒に音を出すことで美しい音の世界がどんどん広がっていきます。ライブでは観客を巻き込み、音楽が生まれる瞬間を全員が共有する。独奏も大好きですが、人と一緒に作り上げる喜びを音楽には強く感じています。

一緒に作るためのルールを理解した上で自分のスタイルを表現するのが音楽。いっぽうで絵は、あらゆるルールを取り払い自由に自分自身の世界に深く分け入る感覚があります。だから、わかりきったことはやりたくない。私自身が美しいと思うものをずっと探している感覚です。

サクソフォンを吹くと「男前なサックスだ」ってよく言われるんです。フレーズで聴かせることはもちろん素晴らしいのですが、なによりも私自身の音色、一音の魅力にこだわっていきたい。絵では大地を吹き抜ける風のような空気の層を描きたいと思っています。

サクソフォン演奏中の岩川

 

ーー 2022年に出産も経験されました。

出産をしてから、子どもをずっと抱きしめているし、私も抱きしめられている感覚がある。育児で手いっぱいで2年近く絵を描くことは十分に出来ていなかったのですが、その間は温かくて柔らかい人間の体温とか愛おしさに包まれていると感じています。そこから絵でも音楽でも言葉になる前の体の内面から湧き出る、人間らしく温かくて図太いものを大切にしたい。それが自分の表現の原点なのだと気づきました。この個展に向けて描いている作品は新たに生まれ変わった自分に息を吹き込んでいる、まさにBLOWしている感覚なんです。

大きく優雅な花弁や水が滲み出ている露岩を思わせる抽象表現は岩川の新たな境地。

「会場で作品に触れた人に風が吹いたなら、それが私の息吹」と話す展覧会「BLOW」は3月11日(月)までYUGEN Galleryで開催します。

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